「裏モノJAPAN」の連載のため、全くの素人ながら、裁判の傍聴記を書くことになった筆者。
右も左も分からず、あれこれ傍聴しているうちに、その面白さにハマっていくというもの。
抽選になるような有名裁判の場面を、ニュース映像で見たことはあります。
しかし日常の裁判の仕組みと実情について、実はほとんど知らなかったなと感じました。
オウム裁判のように、有名どころの傍聴記もありますが、ほとんどは名も知れぬ事件です。
傍聴している人間がいれば、裁判官も検察官も弁護人も頑張るのだそう。
自己保身に走るあまり、無理な自己弁護で、空回りする被告人もいたり。
被告人と被害者だけでなく、証人、裁判関係者(裁判官・検察官・弁護士)にも、それぞれの事情がある。
そんな「人」が立ち回っている裁判というものが、描かれています。
筆者は中年男性のようで、主に夫だとか、加害者の男性に、感情移入して傍聴しています。
私は、女性の被害者に感情移入することが多く、筆者の興味本位な本音に、たまに不快感を感じました。
が、素人だからこそ、こういう好き勝手に感想が書けるのであり、そこが面白くもあるのでしょう。
見た目だけで「こいつ、やってるわ」と言い切ることは、報道では出来ません。
(一部マスコミは、裏付けなくデマを報道していることが、本書でも問題になっていましたが。)
この野次馬な感想に、不快感が上回る人には、お奨めできないです。
「部外者」だった一般の人が、裁判員制度の実施に伴い、「裁判関係者」の側に入ることがあります。
裁判員制度を導入して、民間の風を入れたほうがいいと、マニアは揃って言います。
民間の感覚を裁判に取り入れる、というのは、私もよいことだとは思います。
裁判員は、軽微な犯罪ではなく、死刑又は無期の懲役・禁錮に当たるような、重い事件を担当するのだとか。
陳述を聞いたり、証拠を見たりすることは、精神的にとても辛い作業になるのでは、と懸念します。
その辺りのメンタル的なケアは、どこまで行われるのだろうか心配です。
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